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<description> （24時間おきに更新中）</description>
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<title>七瀬ふたたび (新潮文庫)</title>
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<description> 筒井ストであった、なつかしいとおもった。
七瀬は今も通じる、いや今の時代にピッタリだ。エスパー少年も今必要とされている。
こんなうれしいことはない。筒井さん、まだ老け込むのは早いですよ。
 なんて...</description>
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<![CDATA[
 筒井ストであった、なつかしいとおもった。
七瀬は今も通じる、いや今の時代にピッタリだ。エスパー少年も今必要とされている。
こんなうれしいことはない。筒井さん、まだ老け込むのは早いですよ。
 なんて、叱られるかな?
わたしはおそらく全巻持っている読んでいると胸張って言える。
それほど多才であり時に脳が私と同じに世間と違う動きをしているのではないかとさえ
おもうような、奇想天外な作品も多い。その中にありて、ふたたびこの作品が
日の目をみるというのは大歓迎だ。皆様、ぜひお買い求め、お読みになってください。
 ぐいぐいひきこまれますよーー

    推薦いたします。


   他人の心を読むことのできる精神感応能力者（テレパス）、火田七瀬（ひだ ななせ）を主人公にした三部作、『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』。その第二部にあたるのが本書『七瀬ふたたび』で、七瀬のような超能力者の孤独感と苦悩、同胞意識が、スリリングに描き出されています。

 七瀬サイドに立つ超能力者として、同じ精神感応能力を持つ男の子、未来を予知できる青年、物体を遠隔操作できる念動力（サイコキネシス）を持つ黒人青年、時間旅行者（タイム・トラベラー）の娘の、総勢五名。特異な能力を持つが故の彼らの孤独感と葛藤、互いに心を許し合える同胞にめぐり会った喜びがリアルに描き出されていて、読みごたえがありましたね。なかでも、時間旅行者という超能力者を登場させたことが、話に変化と深みを生み出す上でバツグンの効果を発揮しているなあと思いました。

 ＜とてもいい書き出しだ。夜汽車で火田七瀬の見た予知場面なのだな、と気づいたとたん――それは最初のページで気づくのであるが――スイと作品の流れに乗っていける。＞にはじまる平岡正明の文庫解説文も、作品のツボを押さえたナイスな語り口。読みごたえ、あります。 主人公の魅力による人気で、作家としても予想外に続編を書くに至ったのではないかという気がする作品だ。
 今度の作品では、主人公は孤独から解放され仲間を得る。それぞれ特殊な能力を持つ、エスパーたちだ。エスパーものの作品では能力を持つが故の不幸、迫害、逃避というのが付き物だが、本作品も例外ではない。特殊能力を有する仲間たちとの邂逅から始まって、彼らを狙う謎の組織からの逃避が始まる。
 全国を舞台にした逃避行は映像的なドラマ性十分だ。三部作の中で、第一作が二時間ドラマの連作とすれば、この第二作はサスペンス映画かＳＦアニメと言ったところで、一番映える作品だと言える。それだけに結末は非常に悲しい。
 続編であれば、七瀬の生い立ちをたどったりすることで、いくらでも再度ストーリーは創作できそうに思える。敢えて七瀬を追われる立場にして物語にけりを付けたかったというような意志を感じるあっけない作品だ。
超能力を題材にした作品。人の心が読めるとは、こうゆうことなのですね。筒井さんの作品はどれも飽きさせない。特にこの作品は感動がある。読んでいると、まるでＳＦ映画を見ているような感じ。ラストは、涙なしで読めません。
七瀬達の悲劇には。
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<title>家族八景 (新潮文庫)</title>
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<description>『七瀬ふたたび』がＴＶドラマが始まり、 
とても好きな雰囲気だったので、 
原作を手に取りました。 

思ってたよりも、 
大人なイメージでした。 

短編連作で、 
他人の心を読むことができる少女...</description>
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<![CDATA[
『七瀬ふたたび』がＴＶドラマが始まり、 
とても好きな雰囲気だったので、 
原作を手に取りました。 

思ってたよりも、 
大人なイメージでした。 

短編連作で、 
他人の心を読むことができる少女が、 
その能力を知られないように、 
お手伝いとして、 
さまざまな家を転々としながら、 
それぞれの家族の物語を観察（？）する、 
というお話。 

ぼくの好きな雰囲気のあるＳＦでした。 
ある前提と、 
それを裏付ける説得力を持って話が展開する。 
人間の“エゴ”を鋭く描いており、 
自分を省みるのが怖くなる。 

こんな彼女と出会ってみたいけど、 
どうしたら、 
ずっと一緒にいられるかを考えると、 
それは･･･難しい。 

主人公の七瀬が、 
ちょっと大人びていながら、 
まだま少女である部分が、 
人間の欲望のいやらしさを、 
際立たせている。 
あっという間に、読めました。 この「七瀬シリーズ」三部作は、現在、累計４５０万部を突破しており、さらに、ＮＨＫで「七瀬ふたたび」の放映もスタートしているところを見ると、多くの人に支持されているのは間違いないのだろう。しかし、私は、これらの作品が、それほど魅力のあるものとはどうしても思えないのだ。 

その理由の一つが、筒井康隆独特の文体に馴染めないということだ。これらの作品は、内的モノローグが括弧書きで表わされているのだが、モノローグ自体の文体が独特で取っ付きにくいというだけでなく、台詞の間のモノローグや心理描写が長過ぎて台詞の繋がりがわかりにくかったり、台詞とモノローグが混在してその違いがわかりにくかったり、誰のモノローグであるのかはっきりしなかったりと、とにかく読みにくいのだ。 

一番大きい理由が、七瀬の人物設定と、その行動のギャップだ。七瀬は、「日曜画家」までに、「まだ男を知らず」、「清潔、潔癖で」、「男たちの眼をひきつけるに充分な美貌を備えている」と、その人物設定がはっきりしてくるのだが、通常、男というものは、こうした女性には、天使か女神のような存在を重ね合わせるのではないだろうか。ところが、七瀬は、冒頭の「無風地帯」から、見せかけの平和を破壊するためと称し、家族同士が互いを傷つけあうように仕向ける行動を取っており、こうした行動は、「水密桃」、「紅蓮菩薩」、次作「七瀬ふたたび」の「邪悪の視線」と、どんどんエスカレートしていき、悲惨な結果を生むのだ。もちろん、七瀬が聖人君子ではドラマにならないことはわかるのだが、私は、この「こわい」七瀬に、ずっと、共感できなかった。 

「七瀬ふたたび」の救いのない暗いストーリーも、後味が悪い。最終作「エディプスの恋人」は、荒唐無稽とも思える物語ではあるものの、むしろ、私には、これが一番面白く読めた。強引ながらも、「七瀬ふたたび」との整合性も、最後にしっかり取っている。 

 「七瀬ふたたび｣｢エディプスの恋人｣と続く一連の「テレパス七瀬もの」の第一巻目であると同時に、文豪筒井康隆の代表作のひとつでもある。既に何十年も前に読んだものであり、何度かテレビドラマ化されたものであるが、その作品の魅力は未だに色あせず、書店には新しい装丁になった文庫本が並んでいるのをみると、人事ながら嬉しくなる。
 
 再読してみて、改めてその面白さに引き込まれる。
この初版が出たのは日本中が、超能力ブームに沸きかえっていた時期だったのではないだろうか。
 あのお粗末なブームが去っても七瀬のもつ魅力は消えらなかったということである。
 

 まず１編。
読んでいる時はソレと気づかず。
そして２編。
やっとちゃんと読もうと腰を上げる。
気づけば３編。
なんとなく吸引力。

あっというまの８編八景。


まだまだ読みたくなって
次へ続けと言う気分。興味深いテーマだったのと筒井さんの作品には
以前から興味があったので読んでみました。
他人の考えてることを読みとれる能力を持つ女性・七瀬が主人公の物語です。
読み終わるのに苦労する小説でしたが
性描写がやたらとリアリティーがあったので読み甲斐がありました。
筒井さんの文章自体は地味な印象ですが奇抜性や独創性が強くて
読み進めるのが面白いです。他の作品も読んでみたくなりました。

七瀬を天使と感じるか悪魔と感じるかは人それぞれです。
ちなみに僕は後者だと感じましたがね。
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<item rdf:about="http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/03/4062748681.html">
<title>ノルウェイの森 上 (講談社文庫)</title>
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<description>著者の作品は今回初めて読みました。
代表作と言われてますし、評判がかなりいいみたいなので、
かなり期待しちゃったので、うーん･･･って感じでした。
まず、登場人物の会話が人間っぽくないし、みんな妙に...</description>
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<![CDATA[
著者の作品は今回初めて読みました。
代表作と言われてますし、評判がかなりいいみたいなので、
かなり期待しちゃったので、うーん･･･って感じでした。
まず、登場人物の会話が人間っぽくないし、みんな妙に理屈っぽくて個性がないというか、
ぼーっと思い返して見ると印象に残る人物が居ないように感じました。
(鮮明に思い出そうとすれば一応覚えてるんですが･･)
自殺してしまった人や、その人達との関係にも感情移入ができませんでした。
まあ、当然主人公にとって悲しい思い出っていうことは理解できるって程度。
ただ、結構引き込まれる雰囲気は確かに有るような気がします。
ストーリーやキャラクターじゃなく、この雰囲気 空気を楽しむ作品なのかな？
別に読みづらいわけでもないし、悪くはなかったです。
ただ、ちょっと期待が大きかったのでやっぱり星3つがMAXｶﾅ･･
 めくりめく長い月日を経て、自分の全身全霊をかけて愛し抜いた直子という女性の記憶の断片が、飛行機の中で流れていたビートルズの「ノルウェイの森」の曲と共に、デ・ジャ・ヴュとしてよみがえってくる・・・。

 時代は学生運動の全盛期。大学生活を送っている主人公の「僕」は、自殺していった姉や恋人の死に打ちのめされ、まるで三途の川をさまよう亡霊のように生きている直子へ、ストイックな愛を捧げる。

 肌を重ねながら「僕」の周りを通り過ぎていく様々な女達の事は何も思い出せないけれど、美しい直子の事は、一つ一つのしぐさ、くせ、ほくろの位置まで鮮明に脳裏に焼き付いている。

 死という荒波に押し流されてしまいそうな彼女を、苦しみの世界から連れ出して、二人で明るい生活を築いていきたいけれど、もがいてももがいても「僕」の心の中でずっと咲き続けている直子とい花の花びらが散っていくのを、どうする事もできずに遠くからじっとながめているような焦燥感と絶望感。

 そこはまるで、ノルウェイの森のように深くて暗い闇の世界。

 そして、結局直子は自殺した人々のあとを追うように、自ら死を選んでしまった。

 彼女を失ってから、廃人のように旅をしながらさまよっていた「僕」は、今を生きる人たち〜直子が入院していた精神病院のルームメイトのレイコさんや、大学で知り合った緑という温かくて一風変わった人々に支えられ、生き延びていく事を決意する・・・。

 最愛の人を失った哀しみを乗り越えて、緑という女性と新しい愛を培って、自分の居場所を見つけながら生き抜いていくというラストシーンは、ノルウェイの森という深い暗闇の中に差し込んだ一本の光の矢のように輝いていました。

 私はこの本を読んでいる時も、このレビューを書いている時も、ずっと涙が止まりませんでした。

  「人を愛するという事は、どうしてこんなにも哀しいものなのでしょうね。」
他の村上作品よろしく、「普通」のパーソナリティーを持った人は一切出てこない。
主人公の「ワタナベ君」やヒロインの直子はもちろん、僕たちの平衡感覚とは明らかにことなる登場人物ばかりである。

さらに奇異なのは、登場人物のうち4人もの人々が「死」んでしまう点である。
それも「自殺」という形によって、である。
特に、この恋物語のキーになっている「キズキ」（＝ワタナベ君の親友であり、直子の恋人だった。）の自殺の理由は必ずしも明らかでない。


とまあ、相当におかしな物語なのであるが、私は個人的には好きだ。
その理由の一つが、類まれなる比喩のジャンプである。
その中で最も印象に残った台詞が
「世界中のジャングルの虎が溶けてバターになってしまうくらい好きだ。」である。
はっきり言って、意味が不明！と言われてしまえば、返す言葉はない。
しかし、世界中のジャングルや、その中の虎、そしてその虎たちが溶けてゆく様を想像すると何とも面白く、またそれほどまでに「熱い」思いを自分を抱いているだろうか？などと考えると何とも感慨深い。
そのような「村上ジャンプ」が隋所にちりばめられているのである。


この点については好き嫌いが大きく分かれるであろうが、私は好きである。この小説のテーマは、理性の愛への挑戦であろう。

好きな人、愛する人のために、若しくは、見知らぬ人間のために、
その人の気持ちになろうと一生懸命になったことはありますか？

この小説は、そんなあなたに読んでもらいたいと思っています。
特に、次の言葉に同調するあなたに。

「どうしてこんなにがんばっているのに気持ちが伝わらないのだろう？
 でも大丈夫、もっとがんばればいつの日か。」

愛や好意といったものには「相性」など、人間にはほとんどどうすること
もできない「不条理さ」があります。しかし、この小説の主人公のワタナベは、
あくまでも誠実に、不条理さと向き合っていきます。

こんなまじめな、誠実な人間はなかなかいません。

私にとってワタナベは大切な友達だし、これは最も大切な小説です。
そこまで惚れ込ませる小説です。主人公と直子との恋。それは、表面上は静かで穏やかに見えた。
けれど、心の中ではお互いがお互いを激しく求め合っていた。
だが、求めても求めても決して得ることのできないものもある。
二人は、寂寞感を抱えながらも一生懸命生きようとしたのだが・・・。
ほかに道はなかったのか？こんなにも哀しい生き方しかできな
かったのか？激しい哀しみは、時に人から生きる意欲さえも
奪ってしまう。そこからどう立ち直り、どう自分を再生すれば
いいのだろうか？読んでいて胸が痛い。ラストに、ある女性が
主人公に言った
「痛みを感じるのなら、その痛みを残りの人生を通してずっと
感じ続けなさい。そしてもし学べるものなら、そこから何かを
学びなさい。」
という言葉が強く心に残った。
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<title>13歳のハローワーク</title>
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<description>まず、この本に対する様々な批判意見は、視野が狭いものが大半のように思える。
実際の職業にまつわる悲喜こもごもや詳細を知りたいのであれば、専門書を読めばいい。
タイトルで明示されているように、「13歳...</description>
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<![CDATA[
まず、この本に対する様々な批判意見は、視野が狭いものが大半のように思える。
実際の職業にまつわる悲喜こもごもや詳細を知りたいのであれば、専門書を読めばいい。
タイトルで明示されているように、「13歳のハローワークは」は数多の職業への「見出し」だ。

村上龍の書く職業紹介は、媚びていないし、とてもそっけない。文章量も決して多くない。
そこがこの本のコンセプトに準じていると感じる。
一人の作者の書くものだから、書かれていない側面も沢山あるだろうし、先入観だってあるだろう。けれど別にいいのである。

要は読み手に想像力を喚起させれば勝ち、の本なのだ。

私は現在20歳で、数年前に親にこの本を贈られた。
はまのゆかの大づかみに空気感を捉えたイラスト、シンプルな装丁にシンプルな文言。断定調の職業紹介はまず読み物としてとても面白かったし、必要以上な楽観論や悲観論が無いのも良かった。
まだ見ぬ職業に就いている自分を想像しては暗澹たる気持ちになったり、大丈夫そうだと考えたりした。


このような本の場合、綿密な取材に基づかなくてもいいのだ。
見出しでしかないのだからwikipedia丸写しでもok。
そこに村上龍の頑固な思想と、はまのゆかの「間」を大切にしたイラストが付加されることで、想像力は翼を得る、そこから考えることが始まればいい。


値段も、安いもんでしょう。CD一枚買うのを我慢すれば良いのだから。
まさか１３歳で、本物のハローワークへ

行くことはできないだろうが・・・・

実際にハローワークへ行って、

何か職業を検索してみるといい。

この本に載っている「格好いい」仕事

なんかほとんど検索できないに違いない。

村上龍氏の「見ている」現実は

ちゃんとこの本に反映されているのだろうか？興味が湧いても、13歳という考える頭のある子ならきっとなれないだろうなぁと諦めてしまうような職業ばかり。
確かに見てるだけなら楽しいけど、それじゃあ子供には職業本じゃなくてハリーポッターでも読ませとくよ。
これでも読んで自分もなりたいと思うような職業を探せ、と子供に渡すのは、無謀。

この職業のこと、全ッッッ然、まっっったくどんなことやってるか知らない!!っていう子供になら、何となくこんなことしてるのかー程度はわかるかもしれません。

ちなみに、高校生ぐらいで読んだ場合、面白そうな職業を見つけてももうこの職業への道はないな、とガッカリする子もいるかもしれません。(専門学校に行ってないとダメとかそういう理由で)読み物としてはおもしろいけど、まじめに職業についての本だと思うとがっかりする本。
子供が真に受けないことを祈る。

それさえ分かってれば十分にエンターテイメントとして楽しめるが、時々腹が立つ。
まあ、職業作家という珍しい商売の人からみた世の中のすがたなのだと思う。すべてを知ることはできないのだから、これもアリなのでしょう。

これをきっかけに子供たちに仕事や社会について伝えるメディアが増えればよいと思う。大人が自分の専門分野に関するところを読んでみれば、かなり議論の余地のある偏った内容であることに気づくだろう。そもそもある職業が将来どのように発展するかといった未来のことは誰にも確かなことは言えないことであるのに、ごく少数の著者が個人的意見を述べているだけなら反論したくなる内容であるのも当然であろう。この手の分野は、もし５人の人間が書けばそれぞれが異なる意見となるのが当然という分野である。それは大人には周知なことだが、子供だと結構この手の本の内容を真剣に受け止めてしまいがちなのでそれがちょっと怖い。この本で将来有望だと書かれていたから、あるいは、その反対だったからといったことで子供の将来に影響を与え過ぎないかちょっと心配になる。子供が自分から色々な職業について知りたいと思ってこの本を読むのなら決して止めはしないが、あえて子供に与えて読ませるような本ではないと思う。
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<item rdf:about="http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/05/4101171130.html">
<title>エディプスの恋人 (新潮文庫)</title>
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<description> あえて三部作の掉尾を飾る作品だと言い切ってしまおう。「家族八景」「七瀬ふたたび」という連作と主人公は同じなのだが、実は前作で話は終わっていたはずだからである。
 その謎解きがないままに、物語は大い...</description>
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 あえて三部作の掉尾を飾る作品だと言い切ってしまおう。「家族八景」「七瀬ふたたび」という連作と主人公は同じなのだが、実は前作で話は終わっていたはずだからである。
 その謎解きがないままに、物語は大いなる意志に導かれ、否応なく甘美な恋の物語として進んでいく。そして最後に大いなる意志、すなわち母性のエゴイズムの思惑がすべて告白によって証され、その意志に翻弄される人々や自分の存在意義とは何か、という哲学的疑問に昇華していく。
 作家が創造した主人公を、意外な人気で引き継いで話を展開した結果、今度は読者の予想もしない地平に物語を引きずり出して、大いなるＳＦ的な解決を見せることでファンを叩きのめし、七瀬を封印した作家快心のシリーズ最終作品と言えると思う。
確かに前の２作に比べると話の密度も面白さも低いんだけど…、ショック度・重要度ではトップですね読んだ回数は圧倒的に「七瀬ふたたび」が多いんで星４つにしましたが。
他の方が書いてらっしゃる「神」の事や「宇宙」の事は割りとどうでもよくて、とにかくラスト。これ、筒井さんが常々言ってる「虚構性への挑戦」の、最初の成功作だと思います。
現実と虚構、本を読んでる自分はじゃあ一体どこにいるのか？この世界は何なのか？高校生の時に読んで、何が何だかわからなくなってナタで脳天かち割られた気持ちで、しばし呆然としました。翌日、学校へ向かった時も、それ以降も、ずっと現実感が無かった、この世界に。シリーズ一作目が好きな人には、この作品が苦手な人が多いようだ。私は小学生の時に読んで、恐怖のあまりトラウマになってしまった。それと同時に筒井作品を深く読むようになった記念碑的作品でもある。七瀬三部作は是非10代で読んで欲しい。神について論じているのが三巻で、けっきょく主人公：七瀬には焦点はあてられていない。
七瀬は語り部であり、「七瀬ふたたび」と同じように、しかも今回は前作よりひどく翻弄される。
能力に翻弄され、社会に翻弄され、神に弄ばれるのが七瀬という哀れむべき女性である。
結局、七瀬の人生はあらゆる意味で陵辱された悲惨なものであった。

ＳＦとしては一級だが、七瀬という人物を書く小説としては三級と思わざるをえない。

世界をつかさどる神に人格ごと蹂躙され、人生という人を組成するものを髪の毛一本まで陵辱された主人公というのも珍しいのではないか
この作品に全く救いはない。七瀬シリーズの3作目にして最終作。おそらくは「家族八景」だけで止めておくつもりだったのが、七瀬を魅力的に描き過ぎて、ついついシリーズ化してしまったのだろう。とは言っても、3作ともテーマは異なる。「家族八景」では七瀬を狂言回しにした様々な家族の人間模様。「七瀬ふたたび」では超能力合戦というSF的設定の中での人間の孤独感と焦燥感。そして、本作では世界観の再構成である。

本作の冒頭で、前作で死んだ筈の七瀬が生き返っている。そして、本作ではエスパーとしての七瀬はほとんど意味を持っていない。エスパー等無視できる程の巨大な存在"神"が登場するからである。この過程で、文章の流れが1行中で分岐したり、文字のポイント数が自在に変わったりと面白い趣向を見せてくれる。七瀬が感じる衝撃がうまく伝わってくる。やがて"神"の前身を知った時、"神"は卑近から彼方へと遠ざかる。そして、七瀬が初体験を迎える時、"神"は彼方から卑近へと降臨するのである。

七瀬シリーズの最後を飾るにふさわしい壮大なドラマが演じられる作。
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<item rdf:about="http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/06/406274869X.html">
<title>ノルウェイの森 下 (講談社文庫)</title>
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<description> ノルウェイの森は はたして 恋愛小説なのだろうか？

 本書のコピーは「１００％の恋愛小説です」というものだ。このコピー自体も村上が作ったことは有名だ。僕らはは 本書を恋愛小説として認識し、恋愛小...</description>
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 ノルウェイの森は はたして 恋愛小説なのだろうか？

 本書のコピーは「１００％の恋愛小説です」というものだ。このコピー自体も村上が作ったことは有名だ。僕らはは 本書を恋愛小説として認識し、恋愛小説として読んだわけだが 一歩引いてみて いったい本書は本当に恋愛小説なのか 今ではよく分からない。

 今振り返ってみると 本書では本当に人が死んでいく。死んでいく理由も恋愛が原因では全くない。一人一人が 自分の中に「地獄」を抱え、その「地獄」の為に滅んでいく話だと言っても良い。
 そのような中で 生きている間は肩を寄合って生きていく姿には今なお感銘を受けるが 果たして その姿が「恋愛」なのだろうかと考えてしまうからだ。

 本書であまた語られる「恋愛」の中で 一番 生気があるのは おそらく「僕」と「緑」との恋愛だろう。本書の中で唯一「死の匂いがしない」登場人物は緑だが 彼女と「僕」との恋愛は生き生きしている。
 但し 村上は その「恋愛」ですら 最後の場面で 結末を放り出している。その結末と 本書の冒頭の飛行機の場面を重ねると 既に 不吉な雰囲気が色濃いのだ。

 本当に 本書は「恋愛小説」なのだろうか？もし そうだとしたら それでは「恋愛小説」とはいったい 何なのだろうか？ 
 するらしいですね。多くの春樹ファンは嫌がるでしょうが僕は期待しています。僕は(このレビューを書いている今)十代ですが、村上春樹にはノルウェイから入りました。この本が「ただの恋愛小説」なら星五つつけるわけがないわけで、いわゆる「恋愛」を扱った小説ではあるけれど、その主題は別のところに置かれているように思います。もちろん恋愛の本質は捉えられていて、「恋愛というのは人間の感情でしかなく、そこには教養こそあれ幸せは存在し得ない」という姿勢を提示しています。しかし、この小説が素晴らしい理由はそれだけではなく、あくまで「娯楽小説」である点、ではないかと。主人公である「僕」は現実には絶対に存在しないタイプの人間として描かれているし、周りの人々も一般社会から見れば変な人ばかりで、ファンタジーとしての「ノルウェイの森」を立たせています。あまりに若いうちに読んで世界観に共鳴し過ぎるのもマズイし、かといって年をとってから読むにはクサ過ぎる、そんな小説。小説を小説として考えられる人には面白い作品なのでオススメです。どこがいいのかわかりません。
話の展開は御都合主義ですし、構成力の無さには呆れます。
村上氏のいつもの文章のきらめきもありません。
いったい何が言いたかったのか、
とにかく読むだけ時間の無駄だと思います。
ブームはとうの昔に過ぎ去ったいま、この名作を読んだ。
読み終えた翌日の朝、息を吸うたびに、この本の世界に引き込まれるのを感じた。

矛盾だらけの世の中で、誠実さを貫き通すのは難しい。
そんな中で、主人公のワタナベ君は孤独を選び、親友たちは死を選んだ。

その彼らが恋愛する。その愛の形は不器用だ。
でも、とてつもなく「切ない」そして「うつくしい」。

ハデハデしい描写は一切ない。文章だってケレンミない。
でも、生きることの辛さ、生き抜くことの大切さを、静かに深く訴えかけるのだ。

いまは軽薄な世の中だ。改行だらけスカスカの恋愛小説が好まれている。
メディアミックスとかなんとかで、売れればいいという発想が蔓延している。

そんな世相にあって、「これはホンモノ。ホンモノはすごい！」と叫びたくなる一冊。

PS．ヒロインの緑が魅力的。いままで読んだ本の中で一番惹かれる女性だ。



買って、届いたその日に読んじゃいました。
途中までみながら「この印象、どこかで記憶がある…。そうだ、東京ラブストーリーの読後感に似てるな？」と
思いながら読んでいましたが、最後はそうじゃなかった。
フィクションなんだから、直子さんが理想的な美しい肉体に変貌したり、後にも先にも一回きりしかその気になれ
なかったり、直子さんの両親がこともあろうに娘二人に先立たれたり、あり得ないような突飛さがあっても、それ
は仕方がない。この物語の上では重要なポイントなんだなあ、ギリギリセーフ！という感じ。
でも、結末を焦るでもなく、必要なプロセスを丁寧に踏んで（時々結末近くで妙に焦っている小説に出会うことが
ある）、そこへ到達しましたか、納得、で読み終えることができました。
それと、青春時代ならではの物の見え方、考え方が、とても丁寧に描写されているところが気に入りました。

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<title>走ることについて語るときに僕の語ること</title>
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<description>長距離を習慣的に走るとなると、走っている間に色々なことを考えざるを得ない。
走ることを習慣化させることについての理屈付けや、同じ時間に同じ場所にいる人や植物の変化の観察。苦しさを紛らわせる為にわざと...</description>
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長距離を習慣的に走るとなると、走っている間に色々なことを考えざるを得ない。
走ることを習慣化させることについての理屈付けや、同じ時間に同じ場所にいる人や植物の変化の観察。苦しさを紛らわせる為にわざと他の事を考えたり、痛みや痛んだ肢体を他人のように擬人化したりしてみる。仕事の失敗や成功を走ることに重ねて考えることはしょっちゅうだ。

小説家は走るときに何を考えるのだろうか？非常に興味を持って読んでみたが、びっくりする位、私が普段走っている時に考えることに似ていた。もちろん、村上春樹よりも走る頻度は少なく、スピードも遅いし、海外で走ったこともない。それでも、村上春樹が、歩かないことをノルマにして幾分の願かけをすることや、走ることによって体調、もっと具体的に言えば進化と老いの兼ね合いを確認すること等を読んだときは、ランナーとは普遍的に同じ作業をするのかしらんとすら思ってしまった。

しかし、考えることは同じでもそれを表現する術は、サラリーマンごときが走りながら推敲した程度では当然ながらかなうはずもないレベルだ。読み終えた翌日はクラプトンを聴きながら気持ちよく走ることができた。村上春樹と対象の距離の取り方は非常に重要なことと思いますが、この本は非常に村上さんの「生」に近く、村上さんの汗や闘志や息吹や真摯な姿を感じます。
村上文学独特のスタンスやスタイルも魅力的ですが、その背後にある、正直で、率直な村上さんの部分がこの本ではとてもよく出ています。
私も市民ランナーの一人ですが、村上春樹を知らないランナーの方が読んでも面白い本です。 村上春樹が実質的に日本に紹介した米国の作家、レイモンド・カーヴァーの小説にして村上氏本人の手になる翻訳作品「愛について語るときに我々の語ること」が下敷きになっている書名である。が、中身はまるで無関係な村上氏のエッセイ。
 村上氏の趣味を超えたライフワークとも言ってよい、マラソンやトライアスロンなど「走ること」を軸に、ランナーとしての足跡（といってもレースの実績ではなく内面的な）と小説家村上春樹の内面を、行きつ戻りつしながら極めて内省的に記したエッセイである。
 「極めて」という言葉を使ったのは、これまでの村上氏のエッセイ、旅行記や音楽に関するものに比べて、という意味である。
 これらを扱ったエッセイでは、村上氏は客体（旅する地の風物や音楽、音楽家など）の描写や論評を通して自らを語っているが、本書では「走る」というある意味極めて自己完結的で内省的な行為を語ることで、自らそのものを語っている。というか語らざるを得ない題材なのである。「走る」ということは。
 もし、読者としてのあなたが、村上氏のこれまでのエッセイようなノリを本書に期待しているとすれば、いささか「重たく」感じることだろう。
一方、本書の中でも村上氏自らが語っている通り、自らについてここまで向き合ったエッセイはこれまでなかった。そうした部分を新鮮に感じられる方は、村上氏への「肉薄感」を得られるだろう。
さて、あなたはどちらを期待するだろうか
この本は作者村上さん曰く、エッセイではなくまた個人史と言うものでもなく
『メモワール』と言うものだと考えているという。この本を読んで思ったことは

『あぁ、私は何年、身体を使って（通して）ものを感じたり考えたりしてこなかったのだろう』と、
途方に暮れたことでした。それだけ、村上さんは走ること身体を使って感じたことを
言葉では説明のつかないものを言葉に描いて来た偉大な作家なんだなぁと思いました。

私にはこの本は良質な哲学書の様に思えました。

この本には走ることについての成功例や楽しいことばかりが書いてあるのではなく、
村上さん命名の『ランナーズ・ブルー』（走ることが嫌になってしまったこと）も書いてあり
その苦しみや深い悲しみ出来事から出発することが書いてあるのでその、
優しさや偽善的でないところや公平なところがとても見ていて好きでした。

苦しいのはあなただけじゃないと問いかけられている気がして。
私も身体を通して感じることをもう一度見つめなおしたいそう思う本でした。オススメします。

村上春樹が走る作家であり、毎年１回はフルマラソンを走り、
トライアスロンにまで挑戦しているというのは僕にとって相当意外でした。

「走る」ことを通して「書く」ことを語ったのがこの作品です。
走ることは、作家として必要な体力・持続力・集中力を
鍛えることができるそうです。
本書には村上春樹が走っている写真がいくつか収められているのですが、
確かに50代とは思えないほど引き締まったしなやかな体つきをしています。
ハングリーな精神と肉体を持つことは作家には不可欠だと僕は考えます。

村上春樹のこと、少し見直しました。
そして、僕も無性に走りたくなりました。
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<title>グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)</title>
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<dc:date>2008-11-20T06:48:03+09:00</dc:date>
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<description>衝撃的でドラマティックな展開があるわけではないが、とてもリアルな展開とキャラクターの人間臭ささがあるため、読後数ヶ月経った今も妙に生々しく記憶に残っている。あらゆる面で空虚に満ち、心情によって変化す...</description>
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衝撃的でドラマティックな展開があるわけではないが、とてもリアルな展開とキャラクターの人間臭ささがあるため、読後数ヶ月経った今も妙に生々しく記憶に残っている。あらゆる面で空虚に満ち、心情によって変化する情景は文学的。
ギャツビーが纏ったあの要素は誰しも投影できるモノだが、彼はとてもスマートで本物以上に魅力を放ちセクシーだった。

それにしても村上氏の翻訳は素晴らしく、ウッカリすると翻訳本ということを忘れてしまう程、紡いだ作品を丁寧織り直している。村上春樹の新訳による十数年ぶりの再読。私は彼の翻訳を必ずしも好まないが、この作品は満を持しての出版だけに、日本語としてよく練られ、大変優れていると思う。

「男はなぜ初恋の女性を忘れられないのか」ということが方々で論じられるほど、これは普遍的事実であるらしい。一方で、かなり理知的な判断のできる女性が、そういうことを「気持ち悪い」と表現したのを聞いた経験がある。左様に、この件についての男女差は大きいのかと思う。環境の違いであるのか、生得の資質の差なのか。私は後者の可能性を考える。これは要するに「過去」と「現在」との相克であり、種の保存について女性の方が必然的に現実的たらねばならないという事情があるように思えるのである。儚い過去よりも現実の、眼前の男性の方が、子孫を残すには有効であるからだ。

ギャツビーは結局「過去」にじたのである。思い出の女性は年老いることもなく、よき記憶のみが時とともにより美しく輝きを増し、当の女性さえ支えきれない虚像となって、ギャツビーの心を支配したのである。デイジーは当たり前の女性として「現在」を選んだに過ぎない。

男性にとってこの作品は、限りなく切なく美しい。しかし、女性にとってはどうなのだろう。「気持ち悪い」作品でなければいいが、と思う。私は、村上訳シリーズ（？）を読みました。出版順ではなくて
「ロング・グッドバイ」「ティファニーで朝食を」に続いて三冊目です。

フィッツジェラルドを初めて読むわたしにとって、彼特有の秀逸な言い回しに
慣れず、リズムに乗れなくて、前半は読むのがきつく感じられました。
しかし、中盤以降は一気に読み終えることができました。文章への慣れもありま
すが、それ以上に、主人公同様に、ギャッツビーという人に引き込まれたからだ
と思います。現代風に言えば、ストーカーと目されてもしかたのないギャッツビー
には、どこか現代にも通じる人間の縮図を感じました。

ふと、村上氏が「ロング・グッドバイ」のあとがきで、「著者はこの小説を書く
に当たって、フィッツジェラルドの＜グレート・ギャッツビー＞のことが脳裏に
あったのではないか」といった内容のことを書かれていることを思い出しました。

ロング・グッドバイのラストで、テリー・レノックスが自分の左胸を指して、か
つてここにはたしかに何かあったんだ（でもいまは何もない）と言うのですが、
それと同様に、ギャッツビーにも、かつて何かがあったはずんです。今は失って
しまった何かが。

前者は愛する女を捨てて金持ちになり、後者は愛する女を取り戻すために金持ちに
なります。いずれも裏街道と手を組んで、何かを捨てているところは同じです。すごい、これ。
わたしの大好きな「ノルウェイの森」の中で、名前だけ出てきた小説の訳本。
村上春樹さんの熱い思い入れが、ひしひしと伝わってきました。とっても。
あまりにも「完成された」英文を、その美しい文章の風味と、意味を損なわずに異なる言語に移し変えるというのは、至難の技だったと思います。
この翻訳を決行できるようになるまでに、２０年もの歳月を必要としたとのことで、村上先生にとっては、すごく意味のある重要な仕事だったようです。
そのおかげか、この小説の魅力を余すことなく堪能することができる訳本に仕上がっています。
独特の表現も良かった。
繊細な描写でもクリアカットに表現されるのではなく、なんの脈絡もなく暗示的、多義的な言葉が綴られていたりするけれど、そこに読み手が介入するスペースがあり、想像力を大いに刺激されます。だから、細部を丁寧に感じ取ることができるというか、感覚的に読み取ることができて、印象として後まで残り易いのだと思います。
まるで一本の映画を観たかのように、各シーンが色鮮やかに蘇ってきます。
人物の描写も生き生きしていて、セリフの流れをみても細部に拘りを感じました。リズムをつけ、素敵なメロディのように流れていく。シーンごとに、大きく音色が変っていくけれど。
皆、この本の中で生きているのだと思う。

でも、こんな恋ってあるだろうか？
ギャツビーは、デイジーへの愛を貫く為だけに生きてきたようなもの。
そのために、どんな方法をとったにしても。
なんて純粋な、そして、なんて哀しい恋なのだろう、、、。

そのうち、原文でも読んでみたいです。なにしろ８０年前の小説です。村上さんはよく「翻訳の賞味期限」をいい、現代語で訳文を書くことに努力され、本書も、たとえば会話で語り手が相槌をうつ場合「そうなんだ」と訳す箇所がありますが肯定文なのか相槌なのか分かりにくかったりします。わたしには大貫訳の方が１９２０年代風でしっくりきます。もっとも、新たに翻訳するということは、すなわち現代風の言葉使いにするということなのでしょうけど。うーん、村上さんの翻訳は、カポーティとカーヴァーがもっともマッチしていると思いますし、好きです。サリンジャーのケースも村上訳としてはあまり評価できなにのですが、やはり、原作の年代がもっと新しい方が読んでいて違和感を感じません。1922年、F・スコット・フィッツジェラルドは、「何か新しいもの、斬新で美しくて質素なもの、手のこんだ構成のもの」を書くと宣言した。それが、彼の代表作にして最高傑作である、『The Great Gatsby』（邦題『グレート・ギャッツビー』、または『華麗なるギャツビー』）だ。「ジャズ・エイジ」の光と影を描いた本書は、狂欄の1920年代の雰気をとらえた小説で、「アメリカの神話」の中で不動の地位を占めている。 ???貧しさの中から身を起こし、裕福になったジェイ・ギャッツビーは、フィッツジェラルド、あるいはアメリカそのものにつきまとう、金や野心、貪欲さ、進歩主義信仰などの強迫観念を象徴する。 ?「ギャッツビーは、緑の灯火を信じていた。お祭り騒ぎは、年々かげりを見せはじめているというのに、未来は明るいと信じていた。いざ、その時が来て、明るいはずの未来が素通りしていっても、たいした問題ではない。明日になれば今日より速く走ることができるし、大きく手を広げることもできるから…そしてすがすがしい朝が――」 ???夢の実現と崩壊を描いたこの小説は、「アメリカンドリーム」に一種の警鐘を鳴らす作品なのだ。 ???この小説は、デイジー・ブキャナンに対する、ギャッツビーのかなわぬ思いを描いたラブストーリーでもある。2人の出会いは、物語の始まる5年前。若きデイジーはケンタッキー州ルーイヴィルの伝説の美女、ギャッツビーは貧乏な将校だった。2人は恋に落ちるが、ギャッツビーが海外出征している間に、デイジーは、粗暴だが非常に裕福なトム・ブキャナンと結婚してしまう。 ???戦争から帰ってきたギャッツビーは、なりふりかまわず、富とデイジーを追い求めることに没頭する。やがて、当初は目的にすぎなかった富が、デイジーを手に入れるための手段になっていく。 ?「彼女の声は金でいっぱいだ」 ???これは、ギャッツビーが、この小説の中でも特に有名なシーンで発する賛辞の言葉である。 ???金持ちになったギャッツビーは、デイジーの住まう高級住宅地のイースト・エッグと、ロングアイランド水道を挟んで向かい合わせの地所に大豪邸を購入し、ぜいたくなパーティーを開いて、デイジーが現れるのを待つ。そして、彼女が登場すると、物語は、ギリシャ劇につきものの、悲劇的な様相を見せはじめる。かたわらで冷静な目で見ている隣人のニック・キャラウェイは、終始「コロス」を受け持つ。無駄のない文章、 洗練されたストーリー、透き通った文体。『The Great Gatsby』は優れた詩文でもある。
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<title>源氏物語 巻一 (講談社文庫)</title>
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<description>と言っていいくらいだと思います。
 こういった現代語訳について、原文と違って文が流麗でないとか作者の恣意による加除があるといった難点を挙げる向きもあります。が、私はそうは思いません。
 なんと言って...</description>
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と言っていいくらいだと思います。
 こういった現代語訳について、原文と違って文が流麗でないとか作者の恣意による加除があるといった難点を挙げる向きもあります。が、私はそうは思いません。
 なんと言っても、原文は、それこそ千年前の言葉、えらい学者が大昔から研究を重ねているものであり、大長編を楽しむには相当きついものがあります。いくら良く古文を知っていてもやはり何らかの形で現代語訳も触れておきたいものです。
 また、原文は、「語り」の時代の言わば「書き物」であり、現代の人が読むような「小説」ではないのです。また、さらに「原文」は、特定の人を思い描けるような状態で書かれたとも目され、それが分からないとあまり面白くないのではとも思います。原文だけを読んでも、なにかあらすじを読んでいるような、散漫な印象を受けるのはこれが原因かとも思います。今、万人が楽しんで読むなら「小説」として形の整っているものが良いと思います。少しくらいの加除は必要です。
 とは言っても、品のある文、出来るだけ正確なものとなるといろいろあって迷うもの。いろいろ試した（出費もかさみました）、私から言うと。

 谷崎は、文は流麗だけれど、主語が無く、ある意味、原文と同じくらいきつい。
 与謝野は、定番とは言うものの、大正前、戦時下に原案があった点もあり、「陛下」とか言う言葉が今ではあまり使われない場面で出てきたりして正直がっくりでした。
 円地は作りこみが過ぎるので有名。
 おせいさんも同じ、大幅な順序の入れ違えがあったりして、やりすぎではとも思います。
 玉上訳もいいのですが、３０年前の研究で、一文一文も長く、ちょっときつい点があります。

 で、この瀬戸内さんのものですが、文もきれいで、読みやすい適度な長さにされています。この大長編、読みやすいというのは本当に大事な点です。
 訳も私が知る限りでは、正確と言い切っていいのではと思います。「性愛描写」云々との意見もありますが、巻末の注釈にあるだけであり、本文にはそのような表現は無く、原文どおりです。そこはかな美しさ、争い合う人間の醜さ力強さも原文のままと言う感じで、余程読み込んでいる人ならではの訳と思います。
 相関図、難しい言葉の注釈もあり、それも意外に（失礼）結構最新の研究だったりもします。

 千年紀と盛り上がっているなか、一度お手に取ってみては、と思います。 １月、NHKのテレビ番組で源氏物語が紹介されて興味を持ち、購入しました。紫式部が執筆を始めたのが、一千八年。今からちょうど千年前なんですね。
 ７巻まで読んで、ようやく一段落したようなので、また、１巻を読んでいます。が、改めて読んでみると、一巻はちょっと印象が違う感じがします。これは、瀬戸内寂聴さんの翻訳のためなのか、原書がこんな感じなのかはわかりませんが、ちょぉっと、読みづらさはあるかもしれません。
 ですが、改めて一巻から読んだことで、ようやく源氏物語がわかったなって気がします。というかようやく理解できた部分もあります。（それに、いきなりいるキャラクターもいて、最初だからあんまり気にせず読んでいたからってのもありますし）。
 源氏物語初心者ですが、最後まで、だれることなく楽しめました。

はるか昔に描かれたベストセラー
今も昔も運命的な出生と身分をもち、文武にたけたそしてどこか翳りのある二枚目の男性がヒーローでないわけがない。
でもこれがとても面白いのだ。

もちろん現代から見ると女性の社会的地位や役割は簡単に共感はできかねるほど異質だ。だからこそ、空蝉の苦悩や夕顔のはかなさが映えるし、許されない関係がスリリングなストーリーをよぶ。

そのラブハントな主軸と並んで、今回とても発見だったのは、自然や死に対する感性がきわだっていることだ。
先立たれることを嘆き悲しみ、その悲しみは何日も何日も続く。
４９日にはそろそろ仏になっていってしまうのだから、元気にならねばと思う。
いっそ自分も死んでしまいたいが、どうせすべてのものは死んでしまうのだからここはひとつ強く生きていかなければならないと思う。
こんなストレートな表現だからこそ、がつんと伝わってく。
９月から秋になり、庭の葉が赤くなる風情を見て、亡き人を思い出し泣く。

こういった感情の起伏と情緒的吐露は、最近の作品にはあまり見られないものだ。

そういった意味でも興味深い作品だった。

でもやっぱエッチだなー。源氏って。
本文は読みやすいです。
ただ本当に現代向きな文体で円地、玉上氏に較べると
奥行きが若干無いような気はします。

気になるところは訳者のあとがきが
あまりにも男と女のセクシャルな部分に言及していて
当方少々赤面してしまうところ。
それも当たり前な日常生活にも無理矢理男女の性愛を絡めるものですから
オイオイと突っ込みを入れたくなります。
普通の女の朝寝坊で「前の晩おたのしみでしたね」てな感じの解説は
止めてほしかったです。
ちなみこれ、第六巻の解説です。
あと光源氏が出家に躊躇したのも女との○○○に執着しての解釈は
失笑ものであります。
(あれだけの権力者なら身辺整理するのに一年は優にかかるでしょう)

角川の玉上さんの現代語訳付の源氏物語全巻の方が正直いってお勧め。
あくまでもこの瀬戸内訳源氏は瀬戸内さんの作品と
割り切った方がいいと個人的に思います。空蝉は手強い女だ。一旦天下の源氏を拒否したかと思えば、和歌を使って「忘れていないよ」ということも連絡してくる。紫の上はまだ子供なのに源氏は自分の家に連れ帰った。自分ならいくらかわいい女の子がいてもまだ子供だからそこまではしないと思う。空蝉と間違えられて源氏と契ったふくよかな女の子はさぞかしびっくりしただろう。夕顔は世の男性にとっては大変な人気だが、個人的には手応えがなくあんまり魅力的だと思わない。むしろ手強い女である空蝉の方に魅力を感じる。源氏が与えられた恋よりも、難しい恋の方に血道を上げるのはなんとなく理解できる。恋愛は障害の多いほうが燃える、ということだろうか。源氏は自信満々で行動している。相手の女性もその部分に魅力を感じている面もあると思う。しかし葵の上は少し可哀想な感じがする。きっとプライドの高い女性なんだろうと思う。源氏がうらやましい。

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<title>世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)</title>
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<description>確かに心地好さはある。しかしそれだけだ。この本は口の巧いジゴロだ。ティーンならころっと騙されてしまうだろう。それはまた子どもが自我を確立し一個の人間へと成長するための通過儀礼のようなものだ。だからこ...</description>
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確かに心地好さはある。しかしそれだけだ。この本は口の巧いジゴロだ。ティーンならころっと騙されてしまうだろう。それはまた子どもが自我を確立し一個の人間へと成長するための通過儀礼のようなものだ。だからこそ心好い。そしてだからこそくだらない。実際には通過儀礼などというただひとつの特定の何かに左右されて人間は成長するわけではない。積み重なった日々こそが成長の糧だ。故に通過儀礼はまやかしであり幻だ。それに気付いたとき子どもは成長する。人間になる。故にこの物語から脱却できたとき読者は少し大人になる。けして心地好さに溺れいつまでも依存し続けるべきじゃない。自らを制御できない幼き人類への法として在った聖書が、新しい近代の法のもとに消えていくべきであるのと同じく、幼い子どもが人間になるために捨てさられるべき物語だ。読者に捨てられたとき完結する。必要とされなくなったとき完成する。愛すべき通過儀礼としてのロールをもった一冊。最初に読み終わったときに思ったことは意味不明でした。でも、それからこの本はどういった意味があるのだろうと考えて自分なりの解釈をみつけることで最高に良い作品になりました。この作品は多分百人がよんだら百通りの解釈がでるとおもいます。読んでつまらないと思っても良く考えてみましょう。そしてまわりの人でこの本を読んだことのある人と話し合ってみることをおすすめします。 反論もいくらでもあろうが 僕は本作が 現時点での村上の長編小説での最高傑作だと思う。その意味では本書を書きあげてから２０年以上 村上は本書を超える作品を出せていないということだ。

 まず第一に圧倒的な物語がある。近未来的な「現在」を舞台とした筋と、「世界の終り」の国で語られる物語を同時並行して進めていく腕力が素晴らしい。その二つの世界を巧みに文体を変えながら リアリティーを持たせて書いていくことは紛れもなく今までの日本にもなかったような「豪腕」である。
 そうして その二つの物語が 最後に交差する瞬間は 一種の謎解き以上の美しさがあり それまで 手探りで読まされてきた読者に 「大きな閉塞感を伴った解放感」を与える。

 「大きな閉塞感を伴った開放感」とは 幾分トリッキーな表現かもしれない。但し この作品の底に流れる「閉塞感」が 本作の第二の持ち味だ。

 村上は その早い段階から「閉塞感」をテーマにした作品を書いてきたと思う。初めは 洒落た都会小説の底に「閉塞感」を忍び込ませて隠し味とする向きが強かったが 本作に来て 村上は 正面から「閉塞感」を書いたと僕は思う。「世界の終り」はまさしく「閉塞された」世界であり そこで どう僕は生きるのか というテーマを正面から掲げたのが本作であるからだ。

 本作の最後は 明るさを持っている。それが本作の読後感のすがすがしさにもなっている。但し 時代は そうはならなかったのもしれない。
 この１２年後 村上は「アンダーグラウンド」を書かなくてはならなくなった。
灰羽連盟のグリの国のモデルといわれる「世界の終わり」に興味を持ち、読みました。回りくどい比喩や、妙にさめたキザな主人公、ジャズやロック、映画、小説の固有名詞を多用し、知識をひけらかすよう言い回しは鼻につくとはいえ、日本が舞台とは思えないような妄想力にとんだ物語に、知らず知らずのうちに引き込まれました。もし自分の死があと２４時間しかないとしたら、この主人公のようにきざに死んでいけたらと思います。私が考えていることの一つに人間の意識と無意識の関係がある。私たちは無意識の存在に普段そう気付くことはない。たまに夢を見るときにわかるくらいだ。しかし明らかに無意識が「在る」としたらそれは意識と共に動いているのではないか。この作品を読んだとき、私は二つの物語は主人公の意識と無意識を表わしていると感じた。だからこの本は独立した二つの作品として平行に進行しながら、と同時にひとりの人間の心の動きを示した構成でもあると私には思えた。イメージでいうと前者が左右に、後者は上下に進行している。そして合わせて一つ。まるでマトリョーシカのような物語だ!そんな風に思わせてくれるこの本がとても気に入っている。
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<title>ふたりはともだち (ミセスこどもの本)</title>
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<description>年長の息子に読んであげるも、不覚にも自分が感動してしまった絵本。
二匹の仲良しなカエルがまごころとやさしさを彼らの生活を通してゆっくりとした歩調で物語る。子供にあった一話の長さやユーモアを交えた工夫...</description>
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年長の息子に読んであげるも、不覚にも自分が感動してしまった絵本。
二匹の仲良しなカエルがまごころとやさしさを彼らの生活を通してゆっくりとした歩調で物語る。子供にあった一話の長さやユーモアを交えた工夫など、ストーリのみならず著者のやさしさを感じる。

将来息子が幼少期に読んだことがある絵本として記憶してもらえたら何より。このシリーズは大好きです。
とても心温まるし、どこか懐かしい気持ちがします。
ややグロテスクと云えなくもない絵柄だが、
小学二年生の教科書に名作「おてがみ」が採録されていたため、
それを含んだ短編集である本書を手に取ってみた。

「おてがみ」ほどしみじみとくる短編はなかったが
ちょっとエキセントリックなユーモアが読後、
とても気に掛かってしまう。最初はとっつきにくい絵だなーと思ったのですが、物語を読み進めていくうちに味わいのあるやさしい絵だと感じるようになりました。

pureな気持ちになれるシリーズだと思います。
大人の絵本としてもどうぞ！娘がこれから「おてがみ」を学校で学習すると言う事で、他にもかえるくんとがまくんには色々なお話があるんだよ〜と買い与えてみました。
どの話もちょうど小学低学年生が読む内容なので、うちでは音読の本になっています。
娘が「カエルって本物は怖いけど、かえるくんとがまくんは可愛いね」と言ったので、これも本の魔法だよなぁ〜、本って素敵だよね〜とちょっと心がホンワカしました。
内容もホンワカですよ。???フロッグとトードは、同じ意見だった。今日は泳ぐにもってこいの日だ。トードが頼んだので、やさしいフロッグはトードの水着姿を見ないようにした。ところが泳ぎ終えてみると、みんながトードのおかしな水着を見に集まってきて、2人とも追い払うことができなくなってしまう。 ???このかわいらしいペアは、なくしたボタンを探したり、春にあいさつをしたり、郵便を待ったり、5つのすてきな物語をぴょんぴょん飛び回る。2人が互いを心から思いやる気持ちはすばらし、トードとフロッグは両生類の姿をしたすばらしいお手本だ。子どもたちはフロッグと一緒にトードが愚かしい努力をするのを見て、くすくす笑うだろう。そして長い冬眠からついに目覚めるトードに、きっと拍手を送ることだろう。5番目の物語は、いつかペンパルを持とうという人や、本当に信頼のおける友だちがいるのがどんなことか知っている人なら、誰でも心があたたまることだろう。 ???あたたかくゆかいな友情の物語を演出するアーノルド・ローベルのブルーとブラウンのイラストは、すべての読者の心をひきつけ、気持ちよく楽しませてくれる。ローベルの名作「Frog and Toad」シリーズの一作である本書は、カルデコット賞を受賞し、全米図書賞児童文学部門でも最終候補に残った実力をもつ。ぜひ子どもの本棚に加えたい一冊だ。そしてもっともっとフロッグとトードが読みたい人は、『Frog and Toad Together』、『Frog and Toad All Year』、『Days with Frog and Toad』もお見逃しなく。（4−8歳向け）（Emilie Coulter, Amazon.com）
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<title>世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)</title>
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<dc:date>2008-11-20T06:48:03+09:00</dc:date>
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<description>村上春樹初期４部作、他４冊ほど読んでそれなりに面白かったので今回この世界の終わりとハードボイルドワンダーランド
を読んで見たのだが、
食べ物、音楽の曲名がこまごまと書かれていてうざったく感じた。
食...</description>
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村上春樹初期４部作、他４冊ほど読んでそれなりに面白かったので今回この世界の終わりとハードボイルドワンダーランド
を読んで見たのだが、
食べ物、音楽の曲名がこまごまと書かれていてうざったく感じた。
食べ物、音楽に関しては村上氏の小説の手法ではあるが他の作品では、
あまり感じなかったが今回は特にうざったく感じた。食べ物、音楽でなければその時の感覚を表現できないのだろうか？
その食べ物、曲を知らない人には何も意味をなさないのではないか？
村上氏は読者が皆自分と同じように食べ物、曲を知っていると思って
いるのだろうか？
この小説を読んでいて村上氏にちょっと失望した。


前々からこの作品の続編が噂されている。著者のファンである私もにわかに期待している。にわかに期待し続けてもう10年になるだろうか。後の長編ダンス・ダンス・ダンスで主人公である僕が、ある朝目覚めた首都高沿いの住居の一室で僕の居る場所の確認を再認識する場面があるが、その後に続く村上春樹作品に伏線として登場する〈私〉或いは〈僕〉の影のような存続性を垣間見せるところがあるように感じられる。 作品としてはふたつのパラレルワールドが同時進行する現実とも異世界ともどこかで繋がっていても決して不思議でないふたつの異なる世界で展開される。〔世界の終わり〕では、受動的な世界に居る〈僕〉は、分身である〈影〉を他界に送り出した後で〈彼女〉と共に新たな生活を選択する。〔ハードボイルドワンダーランド〕の世界では能動的な現世の中で半永久的な眠りに付く〈私〉は、目覚めることがあるとすれば果して本当は何時誰にどのように目覚められるのだろうか。ストーリーテリング溢れる、いろいろと想像力を掻き立てられる作品だと思う。 ふたつの世界の主人公である〈僕〉と〈私〉は巡り会うこと或いはひとつになることが出来るのか。果たしてそうなることが本当によいことなのか。 世界はもう終わっているのに。 村上春樹氏の小説、巧みに計算されていて、実に奥の深いメッセージが隠されている。いや、というよりも読み手側に、そういった段階ごとに読めるメッセージを重層化して、フレキシブルな読み方を許容しているのか。
個人の意識にフォーカスがあるのかと思いきや、戦後日本そのものを何かに体現させているかのようにも読める、技巧的な設計。
間違いなく現在の日本で代表的作家といってまったく過言でない。
本作品は、村上氏が相当時間をかけて臨んだ意欲作で、流れとしては、ねじまき鳥、カフカ、に連なる一連の作品になると思う。ねじまき鳥、は村上氏の技巧、設計、表現、などすべての点で、最高の次元にあるものだと思うが、この本作品は、そこにいたる流れを理解するうえで、大事なヒントをいくつも与えてくれる。
逆にねじまき鳥、ができすぎて、これからは、自分との競争に打ち勝って、よりすぐれた作品を書かないといけないのかと思うと、大きく書く内容自体を切り替えていくのだろうか、どうするのか、と心配すらしてしまう。

村上さんー本当にいったいどこまで考えて、小説的仕組みを作っているんですか？
一種のアンチユートピア小説だと思う。ただ普通のアンチユートピア小説の特徴であるコンピューターに支配された超管理社会は、計算士と記号士の角逐する現実世界だけである。この作品はもっと複雑で、主人公の心の底にもうひとつのアンチユートピアが存在しているのだ。この世界は涅槃寂静的でありながらも反エントロピー的な終末世界。そしてこの世界もコンピューターで混乱させられてしまう。
また普通のアンチユートピア物と異なり、主人公は自由と主体性を求めて闘ったり脱出しようとはしない。現実世界で闘わず、精神世界でも愛する女性の心を取り戻すべく森に住むことを選ぶ。これが唯一可能な闘い方なのだ。そして自分が自分であり続けるにはこの道しかないのだ。
「影」はどこか「鼠」や「キズキ」を想わせる。ピンクの服を着た太った娘は「双子」や「キキ」を、老大佐は「ジェイ」を連想させる。それぞれ主人公の「影」であり、異界と現世を取り持つ霊媒的な女性であり、諦観した大人である。図書館の影を失った女性は後の作品「ノルウェイの森」の「直子」のような印象がある。主人公は、自己の世界の重荷を公正に引き受け、恋人の失われた心を取り戻すべく森に住む道を選んだのだと思う。
世界を否定せず、他者を在りのままに受け入れ、自分という重荷を背負うことを決意してこそ、自分が自分であり続けることもできる、というのが「メッセージ」ではなかろうか。
『壁』に囲まれた、『街』で『夢読み』の仕事をすることになった『僕』の『世界の終り』という小説と、『組織（システム）』で『計算士』として『暗号』を作るスペシャリストの仕事をしている『私』の『ハードボイルド・ワンダーランド』という小説が平行して語られる。
正直、これだけではなんのことかわからない。まったくの絵空事といえばそんな気もするし、現実にありえることだと言い切ってしまえばそんな気もする。どちらかというと『世界の終り』が空想で、『ハードボイルド・ワンダーランド』が現実、という印象を最初は与えてくれる。まったく交わりのわからない、平行した二つの物語。それは話がすすまないとわからないものだし、また話がすすんでもわからないものでもある。作中で明かされる秘密は、納得のいくリアルなものであると同時に理解不能なファンタジーですらある。つまりジャンル分けが非常に困難なのだ。ムラカミハルキという作家は常に東京を舞台にしていても全然東京でないような世界に変えてしまうのが得意だ。そんな、現実の舞台すらも架空に置き換えてしまえるような作家が架空の舞台について描く。秀逸である。

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<item rdf:about="http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/13/4062756498.html">
<title>源氏物語  巻二 (講談社文庫)</title>
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<dc:date>2008-11-20T06:48:03+09:00</dc:date>
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<description> 六条の御息所の執念はすさまじかった。女の嫉妬は怖いと思った。

 葵にとってはつらく、短い人生だった。恵まれた家庭に生まれたからといって必ずしも幸せになれるとは限らない。彼女はより積極的に自分の欲...</description>
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<![CDATA[
 六条の御息所の執念はすさまじかった。女の嫉妬は怖いと思った。

 葵にとってはつらく、短い人生だった。恵まれた家庭に生まれたからといって必ずしも幸せになれるとは限らない。彼女はより積極的に自分の欲をだすべきだったのでは、と思う。

 末摘花はかわいそうな女性だ。人見知りは損だ、そう思った。
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<item rdf:about="http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/14/4101001545.html">
<title>海辺のカフカ (上) (新潮文庫)</title>
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<dc:date>2008-11-20T06:48:03+09:00</dc:date>
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<description>村上春樹氏の本を初めて読みました。なんとも不思議。確かに性描写が非常に多いです、私は過激すぎるものは苦手な部類です。グロテスクな描写もあります。でも止められない。読みだとすと次へ次へと進んでしまう。...</description>
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村上春樹氏の本を初めて読みました。なんとも不思議。確かに性描写が非常に多いです、私は過激すぎるものは苦手な部類です。グロテスクな描写もあります。でも止められない。読みだとすと次へ次へと進んでしまう。不思議な力があるみたい。読み終えた後、数時間たっても余韻が抜けません。物語に入り過ぎてしまうので、出来るだけ家で読むようにしました。感じ方は人それぞれですので、やはり嫌いな方もいるでしょう。でも私は友人に勧めたくなりました。そして感想を聞きたくなりましたよ。登場人物のキャラクター設定が、とても奇抜。まず、そういう設定を置いて書ききってしまう筆力に脱帽です。
１５歳の田村カフカ少年の老成した感じ、大人顔負けの自己規制、行動力、判断力。そうなった背景があるにしろ、６０歳を超えてるナカタさんが文字が読めず、会話のしかたも素朴で素直な感じ。この年齢とキャラの対比が面白い。

他の登場人物サイキさんや、大島さんの設定もかなり超個性的。

しかも、これらの主要な登場人物は皆、なんらかの問題や弱点を抱え、社会的には弱者の部類に入る。子供、老人、５０過ぎの複雑な過去のある女性、ネタバレになるので書かないが、大島さんもそう。

しかもカーネル サンダー やジョニー ウオーカーまで出て来るので笑ってしまった。
これらはトリックスターとして書かれてる。

神話をベースにして、様々な古典を読み込みながら、宮崎駿の物の怪の世界じみたエンターテイメント性を付加してる。よーく、読むと、つじつまの会わないところや無理のあるところもあるけど、そこはそれ、読んで楽しむものですから。

身体感覚の扱い方、性への態度、音楽への視点、善悪の基準については、かなりはっきりした作者の視点が出てる。
そこに、はっきりとした「現代性」を感じる。

もりだくさんながら、優れたエンターテイメントなのですっと読める。
哲学や、神話学、心理学、音楽の知識の背景を持って深読みしようと思えばできるようにも構成されてるのは、さすが。 「15歳」の少年が大人になることをテーマにした小説。文字を無くした男、エディプス・コンプレックス（＝「父殺し」）、夏目漱石論（「三四郎」と「坑夫」の比較論）など、その他色々な文学的モチーフが重ねられるつつも、メイン・モチーフとしては、残酷な「世界」「他者」と少年がいかに向き合うようになるかが、いつも通り内向的で非現実的なストーリーで語られる。

 明らかに、発表当時に不可解で血みどろな事件を色々と起こしていた「壊れる10代」をターゲットにして「大人になること」を一生懸命に語ろうとした作品なのだが、不幸なことにこの作品は実際に壊れている10代よりも、「大人になりきれない自分」に若干ナルシスティックな魅力を感じる20代〜40代の読み手に熱狂的に支持されたのだった。もちろん、そんな読み手達を相手にして「大人になること」を語る意義は十分にあるが、一番読んでほしい読者層に届かなかったことは、作者とこの作品の不幸な点だろうと思う。

 この「ブンガク的」で居心地の良い内向的世界が、本来「大人」であるべき年齢層の日本人に受ける状況は決して健康的ではない。（村上作品の効用の1つには、「大人であること」に疲れた大人達の癒し本としての効果がある。）そろそろ、僕らには「こんな時代に大人であること」を愚直に考えた文学作品が必要なのではないか。だって、村上春樹がトップランナーになってからこっち、僕らはもう20年くらい同じトラックの上をグルグル回ってるんだぜ。村上作品の「世界の終わり…」のように、登場人物の話が平行して進んでいき結果的に交わるところが楽しめます。万人受けではないと思いますが、小説に現実やリアリティを求めるよりも、その世界観そのものを味わうことに意味があると感じます。例えば、図書館の縁側から見える庭、森の中の静けさ、『海辺のカフカ』のメロディーや、絵の中から向けられたまなざし…。想像するそれらは想像でしかないけれど、確かなリアリティを持って物語の世界を静かに語りはじめます。そこに耳を澄ますと色々なものが見えてきます。ちょうど風の音を聞くように。皆さんのレビューが奥深過ぎて気が引けますが、一読者から一言すごく面白かった村上春樹さんの書く食べモノや洗濯や掃除するシーンはリアルで、何故か読んでいると癒やされます
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<item rdf:about="http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/15/4101171319.html">
<title>旅のラゴス (新潮文庫)</title>
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<description>大崎梢の「平台がおまちかね」で、「出版社営業マンが選ぶ10冊の文庫」に入っていたので久しぶりに手にした筒井康隆。
筒井康隆は昔、何冊も読んでいたが、こんな作風があったとは。
前半、時間の関係で途切れ...</description>
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<![CDATA[
大崎梢の「平台がおまちかね」で、「出版社営業マンが選ぶ10冊の文庫」に入っていたので久しぶりに手にした筒井康隆。
筒井康隆は昔、何冊も読んでいたが、こんな作風があったとは。
前半、時間の関係で途切れ途切に読んだせいで、若干入り込めなかった。後半は一気読みしたので、ぐんぐん引き込まれた。ううむ、最初から腰を据えて読むべきだった。
ここでの皆さんのレビューを読んで大後悔。
次回は初めから一気読みしようと思う。
SFの要素をふんだんにちりばめつつ、壮大なファンタジーと、そして旅とは何か、人生とは何かを考えさせられる作品だった。
知性にあふれ、モラルもあり、醜い欲も無く、
いつも旅を求めて遠くを見ている、かっこよすぎるぞ、ラゴス。
きっとラゴスは今も終わり無き旅を続けているのだろう。とてもきれいなお話。1年に1回は読みたくなります。読み終わった後、さわやかな気分になりたい人にお勧め。一人の男の壮大な旅を描いた物語。
あるいは題名に則せば、旅をするラゴスを描いた作品と言ったほうが適切かもしれません。

世界観、人物、展開どれをとっても秀逸で、ラゴスの生き様に瞬く間に引き込まれていきました。
読後に「読んでよかったなぁ」と思える数少ない作品の一つです。

SF的な設定は簡潔であるため、SFに抵抗がある方や、SF初心者の方にもおすすめできる作品です。

世界1000万部の大ベストセラーといわれるパウロ・コエーリョの『アルケミスト』と似たような不思議な雰囲気を漂わせた名作。

どちらも主人公が愛する人を心残りに思いながらも旅をし続けて歳を重ねていくという点で非常に似通っているのだが、
『アルケミスト』がやや宗教的というかスピリチュアル的な要素が強いためやや説教じみた部分を感じるのに対して
『旅のラゴス』はややSF的であるが癖がなく読みやすい。
 
そして人生についてより深く考えさせられるのも『旅のラゴス』の方である。

ただ、もしご興味があれば『アルケミスト』と読み比べてみると面白いと思う。「人生そのものが旅である｣と書かれた文章に触れたりする事がある。
非常に漠然と抽象的なコピーだからいまいちイメージがつきにくい。 
まだ年端も行かない子供に、若者に、そしてある程度人生を送ってきた年配者に、
具体的に人生とはどういったものかというヒントを与えてくれる1冊
と言っても良いのが本作である。 

この作品を読了した最初の感想は「この作品が日本人作家によって
日本で書かれたこと自体が奇跡である。」というものであった。 
本作の性質から言って筒井の数多ある作品の中でも異彩を放っている点
については異論を挟まないであろう。 

本作はSFファンタジーの世界を舞台にしているが
ようは一人の男の青年時代から老年時代までの時間を
それぞれ印象に残るエピソードを交えながら
淡々と冷静に書き連ねていく人生物語である。 


頻繁ではないかもしれない。
しかし年に一度は手にとって読みたくなるような1冊。
「傑作」と言う意味を知りたければ本作を読めば分かるであろう。 

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<item rdf:about="http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/16/4101001553.html">
<title>海辺のカフカ (下) (新潮文庫)</title>
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<dc:date>2008-11-20T06:48:03+09:00</dc:date>
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<description>カーネルって誰。
石ってなに。。。

読まなきゃよかった、正直にそう思う。
ものすごく読みにくかった。
現実を非現実の世界が全く融合している気がしない。
納得いきません。
実態や真意を汲み取ろうとす...</description>
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<![CDATA[
カーネルって誰。
石ってなに。。。

読まなきゃよかった、正直にそう思う。
ものすごく読みにくかった。
現実を非現実の世界が全く融合している気がしない。
納得いきません。
実態や真意を汲み取ろうとすることは非常に困難だった。合点のいかないことや説明のつかないことがあまりにも多すぎるからだ。でもこの本を読むに当たって、そんなことに力を注ぐことはあまり意味を持たないのかもしれない。メッセージ性より世界観。奇抜な登場人物や出来事が織り成す不条理な世界にグイグイ引き込まれます。とても美しくソフトで平易な文体・文章で不可解な出来事も当たり前に受け入れることができるので、みるみる非現実的な浮遊状態の世界にのめりこんでしまう。

同著者の作品ではダンス・ダンス・ダンスの世界観、ノルウェイの森の主人公の方が好み。面白い本か？と聞かれれば、面白い本と答えられます。
でも、もう一度読みますか？と聞かれると、答えに窮します。
この作家の本を読んでみたいと思っている「春樹入門者」
の人には「世界の終わりと〜」とあわせておすすめの本です。

平易で、読みやすい文章なので、長さの割には楽に読めます。
感想は、人それぞれ。
深読みするも良し、ただ漫然と浸るように読むも良し。

星二つ分減らしたのは次の二点が自分の好みに合わなかったから。

●80年代から一貫して変わらないきざっぽい台詞回しは、
ちょっと、違和感を感じがします。
●必然性の薄い、サイドストーリーは、ただただ冗長な
感じがします。

まさにメタフォリカルな不思議世界が錯綜します。
結局よく解らない部分が多いですが魅力的な登場人物と筆致の軽妙さで一気に読める面白い作品です。

個人的には、生でも死でもない中間世界が精神世界に（もしかしてそれを超えて）存在するという印象が強く残りました。

著者の意図を含まない確信犯的空白が随所に感じられ、そこに映るのはまさに読者自身なのでしょう。
再読時にはまた違う感想を持つと思います。 人間は存在している時点でいやおうなくどこかに所属している。そして、周囲にあるものを認識することで自分を発見するのである。
 しかし、その認識も自分というレンズを通してえたものであって、決して認識は受動的な行為ではない。
 つまり、能動的に認識に向き合うことで、世界の見え方をまるっきり変えることも可能なのである。
 そういう点で私たちは「世界でいちばんタフな少年」になる必要があるのではないだろうか。


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<title>源氏物語 巻三 (講談社文庫)</title>
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<dc:date>2008-11-20T06:48:03+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/18/410112115X.html">
<title>砂の女 (新潮文庫)</title>
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<description>高校生の頃、不条理にあこがれつつ、安部公房の不可思議性が好きでした。
砂の女は、理解を超える不条理性と不可思議性を持っているように思われました。
なぜかは説明できませんが、安部公房が書いているのなら...</description>
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高校生の頃、不条理にあこがれつつ、安部公房の不可思議性が好きでした。
砂の女は、理解を超える不条理性と不可思議性を持っているように思われました。
なぜかは説明できませんが、安部公房が書いているのならそうなのだろうという感じでした。安部氏は「砂」と「壁」を良くモチーフに用いるが、本作はまさに「砂の壁」に取り囲まれた家の中から必死に逃れようとする男を通して、人生の意味、自由と束縛、そして男にとっての女の存在の意義を問い掛けた作品。

男は昆虫採集のため、ある浜辺に行くが、そこは砂に囲まれた村だった。男は「砂の壁」の上から落とされ、ある家に軟禁状態にされる。家には女が一人いるだけである。女がする事は家が潰れないように砂を掻き出すだけである。男は当然、何回も逃れようと"もがく"が「砂の壁」に阻まれ脱出できない。家の倒壊を防ぐために女の手伝いをして、砂掻きをする始末である。「砂漠は清潔である」とは「アラビアのロレンス」中のセリフだが、本作での砂は暴力的である。無形だが流動的で捉え所のない1/8mmの砂の塊。生きるために、ひたすらその砂と格闘する男と女。人生の意味とは、この砂との格闘のように他者から押し付けられた無為な決め事を繰り返すだけなのか。しかし、男の以前の生活は、この束縛された環境と比べ本当に自由だったのか。色々考えさせられる。

男は逃亡の目的もあって女と関係を持つが、無為な生活の中にも女は必要と言う事か。性の営みも他者に強制された無為な行為なのか。女が終始、"丁寧語"を使うのも怖い。そして、女が示す男への貞操と外界への忌避感も印象的である。高度に抽象化・幻想化された物語でありながら、ザラザラしたリアリスティックな感覚を覚えるのは作者の力量だろう。砂を撒き散らているのは男自身かと思う程である。まさに、「メビウスの輪」。

高度な小説技法で、生きて行く事の意味、自由と束縛、性衝動の意味を問い掛けた戦後文学を代表する傑作。比喩が複雑で類似であったり対比であったりが
絡み合っていて、私には難解と感じられる箇所も
ありましたが、それでいて純粋な面白さも失わず、
エンターテイメントとしても申し分ないと思います。
読んでいるだけで汗と砂にまみれてこびりつく
ような不快感、薄暗くじめじめした閉塞感など
その時々で微妙な感覚が伝わってくる描写も圧巻です。

不条理というより現実味を帯びた理不尽な展開にスッと引き込まれます。
さぁどうする？この手の大きな難問を抱え、如何にしてブレイクスルーするかというストーリーを好む当方としては楽しめました。

オチがやはり文学的。部落に監禁されてから最終的に男がとる行動までの表面的な心境の変化に違和感を感じつつも、読後じわじわと男に内在する「教授」というブレのない根幹が故かという解釈もと考えさせられるから面白い。初めて読んでから、かれこれ１７年になります。
今でも時々本棚から出して読んでしまいますね。
砂という無機物を限りない手法で表現し、読んでいる者を不快にさせてくれます。
大江健三郎氏が安部公房を「戦後最大の作家」と絶賛しましたが
そのなかでも傑作といえるかと思います。

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<item rdf:about="http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/19/453216592X.html">
<title>カンブリア宮殿 村上龍×経済人</title>
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<description>それぞれの経営者の話が参考になるのはもちろん、各経営者に対する
村上龍のコラムがまた面白い。

ある特定の人物の自伝や伝記には無い良さがこの本にはあります。
それは複数の人物を横断的に見ることにより...</description>
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それぞれの経営者の話が参考になるのはもちろん、各経営者に対する
村上龍のコラムがまた面白い。

ある特定の人物の自伝や伝記には無い良さがこの本にはあります。
それは複数の人物を横断的に見ることにより、現代社会で成功する要因を
抽出し一般化することができる点です。

村上氏がそういう視点でこの本を執筆しているので、番組とはまた違った
見方ができるのではないかと思います。

例えば、経営者に必要な資質として挙げられている「明るい」「ポジティブ」
という言葉の定義や、「科学的な努力の継続」の必要性など、村上氏ならではの
鋭い考察が多く、とても参考になりました。冷静な分析力と、好き嫌いが激しい性格を併せ持つ著者が
これまたクセのある様々な経済界の人たちと行った対談集

沢山の人を味方につけ、成功を重ねてきた経済界の人たちだけあって
その人たちの口から出る成功の秘訣は非常に分かりやすく、
また、ためになるものばかりです

仕事のできる方というのは、相手のレベルを想定しながらわかるように説明できる（P81）
勝利の女神をどうやって味方につけるかを考えればいいんだ（P102）
１個、２個は誰にでもできる。何億個と同じものができて初めてできたといえる（P113）
迷っている人の話を聞いている暇がないんですよ。楽しい話をしたいんで（P197）


面白いのは、それぞれの対談の感想として
著者自身がまとめた２ページ程度の「ひとりごと」
同郷の人を賞賛したり、作家と経済人の違いにため息をついたり．．

経済界とは無縁の−素のままの−「村上龍」を、身近に感じることができるのも
この本の一つの楽しみ方だと思います２１人の経済人が、村上龍と対談した内容をまとめた本。
一人につき、１５Pほどだろうか。
それぞれの人の後についている、村上氏の解説がとてもよかった。
もちろん対談のほうも読み応えがある。読んでいて飽きない。筆致も無理に盛り上げるでもなく、泣かせるでもなく、テレビの淡々とした感じをよく表現できていると思った。
何かを成し遂げた人たちの考え方や、生き方はとても参考になる。もちろん成功してきた人なので、それぞれ個性的なのだが、全ての人に感じる潔さというか、綺麗な感触というか、静謐さというか、というのが、自分にとっては大変勉強になった。それはやはり大きな視点から育まれるものなのだろう。
特にSBIHの北尾氏が良かった。
番組のファンにも、そうでなくてもぜひ読んでみて欲しい。２も読んでみようと思っている。テレビ東京で放映されている「カンブリア宮殿」で村上龍氏が様々な経済人と対談した内容を本として焼きなおしたもの。対談のやりとりが主な内容だが、ゲストのプロフィールや対談後の村上氏のコメントが付け加えられている。

本書（およびテレビの「カンブリア宮殿」）では、大企業のみならず最近話題のベンチャー企業などの経営者も招かれている。トヨタの張会長、ホリプロの堀取締役、ミクシィの笠原社長、はてなの近藤社長、男前豆腐店の伊藤社長、ワタミの渡邉社長、ジャパネットたかたの田代表、ＳＢＩホールディングスの北尾ＣＥＯなどなど。村上氏のインタビューにより、各々の経済人の人となりが上手く引き出されている。

テレビ東京は観れない地域が多いので、「カンブリア宮殿」を観たことがない方も多いと思うが、ビジネス書を読んでいるような方であれば、番組を観たことがなくても楽しめるように思う。経営者、リーダーたちのとても貴重な話が聞ける、テレビ東京の「カンブリア宮殿」の書籍だが、やはり、番組で見た時のような迫力は、書籍からは得にくい。番組では、明日の自分に影響を与えそうなほどの説得力を感じるが、、書籍化すると簡略化されておりやはり説得量が少々低下する。
番組ファンが、もう一度あのひとの話を聞きたいという場合に、復習として使うとよいだろう。

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<item rdf:about="http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/20/4101123152.html">
<title>沈黙 (新潮文庫)</title>
<link>http://22bookshop.bestbook-shop.com/detail/20/4101123152.html</link>
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<description> 鎖国した日本において、キリスト教を拡めようとした司教の物語です。

 信仰心と慈悲の間で揺れ動く人間の心模様が印象的です。

 かくも真面目な生き方は現代的ではありませんが、ちょっと昔の生き方とし...</description>
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 鎖国した日本において、キリスト教を拡めようとした司教の物語です。

 信仰心と慈悲の間で揺れ動く人間の心模様が印象的です。

 かくも真面目な生き方は現代的ではありませんが、ちょっと昔の生き方としてはある意味、共感します。
読み出すと止まらなくなった。一気に読み切った。
断っておくが小生はクリスチャンではない。

遠藤周作氏は芥川賞受賞後の３７歳から、結核で２年もの入院をしている。
手術で７本の肋骨と肩肺を失ったが、「私が得たものは肩肺よりも、もっと大きなものだった」と語られている。
それは何か？
命に及ぶ大病との格闘を通して、悩める人や弱い立場にある人への温かな眼差しを獲得したということだろう。
その生死の極限から蘇生した著者の魂が綴られたのがこの「沈黙」だと思う。

残酷で非道な“穴吊り”という刑に処せられた切支丹の農民を救うため、司祭フェデリコは遂に”転ぶ”。棄教したフェデリコは岡田三右衛門という名前を与えられ、しばらく長崎に留められる。弱虫で臆病で卑劣、何度も転び、フェデリコをさえ売った五島出身の農民キチジローは、それでも岡田となったフェデリコのもとへさえ、告侮を聴聞してもらうためにやってくる。

この小説の終わりは「切支丹屋敷役人日記」で終わる。

この「役人日記」によると、江戸の牢屋敷に移された岡田の中間として”吉次郎”が共に住みんでいることが記述されている。吉次郎は首にお守り袋に入った切支丹の本尊を隠し持っているのを見つけられて問いつめられている。岡田の、いな、フェデリコの信仰は破られていない、キチジローの信仰も破られなかった。そして、岡田三右衛門ことフェデリコは日本に来て三十余年、江戸へ出て三十年の六四歳で病死する。

ドフトエスキーが「悪霊」で描き出したように、多くの切支丹を殺し、フェデリコをも棄教させた、洗練された口調と無表情の顔をもつ、井上築後守を初めとする権力者達こそ、精神の尊厳を失った哀れな人間だったのではないか。

クリスチャンとか仏教徒とか、そんな狭隘な批判を越えて、
この「沈黙」は間違いなく戦後の日本文学の代表作の一つだと確信する。
この本を初めて読んだのは高校生の時でした。
吸い込まれるように読んだ記憶があります。

「信じる」とは何なのか。
「信じる」ことによって人は救われるのか？

戦争には，その背景に宗教観の問題も含まれています。
人間が神によって生かされているのであれば，なぜ，戦争なんてするのでしょう？
神とは「自分こそが正しい」ことを武力をもって照明するような人間くさい存在なのでしょうか？

この本は，「信じる」ということの深さをまざまざと見せ付けてくれる一冊です。
私は誰かを信じぬけるのか？

恋に迷った時に読んでみるにお勧めの一冊です。

また，この本を片手に長崎を旅してほしい。
外海から長崎市内へ海を眺めながら旅してほしい。重い。重いです。実在の人物をモデルに書かれた小説。 
時は江戸時代、島原の乱が鎮圧されて間もない頃。日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは背教を迫られる… 
私は171ページと191ページの言葉が印象的でした。気になった人は読んでみよう！（笑） 
キチジローがキーマンです。 
本書と対をなす『死海のほとり』を読むと理解が深まる。主人公と一体になって、読み手のわたしも苦しんだ。

読後、１０年以上が経過したのに、
この小説を思い出すと、いまでも胸が痛む。

こういう作品を、真の名作と呼ぶのだと思う。



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